〔付〕各種病態のベクトル心電図スカラー心電図

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1.ベクトル心電図とスカラー心電図
   大きさと方向を持つ物理量をベクトル(vector)という。これに対し、大きさのみを持ち、方向を持たない物理量をスカラー (scalar)という。そのため、標準12誘導心電図はスカラー心電図とも呼ばれる。ベクトル心電図誘導法で記録されるX、Y、Z誘導心電図もスカラー心電図であるが、より正確には「ベクトル心電図構成スカラー心電図」と呼ばれている。これらの誘導は、立体的な心起電力情報を含むため、3個の誘導法ではあるが、標準12誘導心電図に劣らない多くの情報量を含んでおり、標準12誘導心電図が診断可能な病態は、X、Y、Z誘導の3誘導で診断可能できる。

 以下、典型的な諸病態について、X、Y、Z誘導心電図の臨床的有用性を示す。以下の記録は、全て1mV=1cm、記録速度=100mm/秒の記録である。

2.左室収縮期性負荷
  下図は高血圧例のX、Y、Z誘導心電図(以後、スカラー心電図)である。X誘導のR波の振幅が高く、左室肥大がある。
X誘導でST低下が著明で、T波が深い陰性に描かれ、QRS-Tベクトル夾角が拡大している(左室収縮期性負荷)。Z誘導でT波が陰性である。左室肥大単独であれば、Z誘導のT波は陽性に描かれるが、これが陰性であることは前壁虚血の存在を示している。
 診断:左室肥大(左室収縮期性負荷)、前壁虚血。

3.左室拡張期性負荷
  下図は大動脈弁閉鎖不全症例のスカラー心電図である。X誘導心電図でR波の高電圧がある(左室肥大)。X誘導で軽度のST低下があるが、T波は陽性で、QRS-Tベクトル夾角の拡大はない(左室拡張期性負荷)。Y誘導で軽度の陰性T波があり、心筋虚血所見を示す。
 診断:左室肥大(左室拡張期性負荷)、心筋虚血。

4.右脚ブロック
  下図は右脚ブロック例のスカラー心電図である。 QRS間隔は0.11秒と延長し、Z誘導のQRS波がRsR′型を示す。このR′波は遅れて起こった右室興奮を反映し、このベクトルがX誘導の幅広い、著明なスラーを伴うS波を形成している。QRS波後半は、伝導障害を反映して著明なスラー、結節を示し、X誘導で下向き(右方)、Z誘導で前向き(前方)で、右前方の心臓部分の興奮遅延、すなわち右脚ブロックがあると診断される。QRS間隔は120msec以内であるから、不完全右脚ブロツクと診断されるが、QRS波後半の著明な伝導遅延所見(著明なスラー)は完全脚ブロックの特徴を具えている。
 診断:右脚ブロック(完全型?)

5.完全左脚ブロック
  下図は、左脚ブロック例のスカラー心電図である。QRS間隔は150msecと著明に延長し、完全脚ブロックがある。X、Y誘導でQRS波の著明な結節形成〜分裂があり、Z誘導ではR波が小さく、幅が狭い。QRS間隔延長で示される伝導遅延は、X誘導で陽性で、左室興奮到達の遅延を示し、完全左脚ブロックと診断される。X誘導のST低下および陰性T波は、完全左脚ブロックに基づく二次性変化であり、一時的なST−T変化はない。
 診断:完全左脚ブロック

6.右室拡張期性負荷
  下図は、二次孔型心房中隔欠損症例のスカラー心電図である。Z誘導のR波が分裂し、QRS波はRsR′S′型を示す(右脚ブロック)。QRS間隔は80msecであるため、不完全右脚ブロックと考えられる。T誘導でS波の幅が広いのも不完全右脚ブロックによるためである。しかし、完全右脚ブロックの波形とは異なり、T誘導のS波は深く、かつスラーの程度が軽く、伝導障害よりも、右室肥大を反映している(右室流出路肥大, outflow tract hypertrophy)。Y誘導のR波の振幅はS波よりも大きく、QRS軸は正常軸ないし右軸偏位傾向を示し、少なくとも左軸偏位所見は認められない。このような伝導遅延所見を示す不完全右脚ブロック所見は右室拡張期性負荷の反映であり、心房中隔欠損症がその代表的病態である。QRS軸が右軸偏位傾向を示すことから二次孔型心房中隔欠損症が最も強く考えられる。

 診断:不完全右脚ブロック(右室拡張期性負荷)(二次孔欠損症)

7.右室収縮期性負荷
  下図は、肺動脈狭窄症例のスカラー心電図である。X誘導でS波がR波より大きく、QRS軸は右軸偏位を示す。最も特徴的な所見はZ誘導におけるR波の振幅の増大で、R/S>1となっており、右室収縮期性負荷所見を示す。 X誘導のP波は、正常では前半(右房成分)が低く、後半(左房成分)が高いが、本例のX誘導P波は前半が後半よりも高く、右房負荷が考えられる。
 診断:右室収縮期性負荷(右室肥大)、右房負荷。

8..前壁中隔梗塞症
   下図は、前壁中隔梗塞症のスカラー心電図である。Z誘導のQRS波に初期R波がなく(正常中隔ベクトルの消失)、ST部の軽度上昇と左右対称的な陰性T波(冠性T波)を認める(前壁中隔梗塞)。X誘導でも陰性T波があり(側壁虚血)、X、Y誘導のP波が2つに分かれている(左房負荷)。
診断:前壁中隔梗塞、側壁虚血、左房負荷。

9.側壁梗塞
  下図は、側壁梗塞症のスカラー心電図である。X誘導のQRS波はQS型で、ST上昇、冠性T波を認める(高位側壁梗塞)。Y誘導のP波の幅が広く、Z誘導のP波は二相性で、陰性相の幅が広い(左房負荷)。
 診断:側壁梗塞、左房負荷(疑)。

診断:後位側壁梗塞、左房負荷。

10.広汎前壁梗塞:
   下図は、広汎前壁梗塞のスカラー心電図である。Z誘導心電図に初期R波がなく、QS型を示す(前壁中隔梗塞)。X誘導でR波が著しく低く、S波が深い。この所見は、右室肥大、胸郭変形、右脚ブロック、WPW症候群などを除外できる場合には、側壁起電力の消失を意味し、前側壁梗塞の存在による(前側壁梗塞)。Y誘導のQRS波がrsR′S′型を示している。この所見は、陳旧性下壁梗塞でQS型を示していたものが、梗塞部残存心筋の起電力回復と共にR波が再出現した所見(embryonal R wave)である可能性が高い。
 診断:広汎前壁梗塞(前壁中隔梗塞、前側壁梗塞)、下壁梗塞(疑い)。

11.下後壁梗塞
   下図は、下後壁梗塞のスカラー心電図である。Y誘導に幅広いスラーを示すQ波(異常Q波)があり(下壁梗塞)、R波の頂点には多くの結節がある。Z誘導でR波が高く, R/S>1である。この所見は、右室肥大、WPW症候群、右脚ブロックなどを除外できる場合には、高位後壁起電力の消失(後方からの梗塞ベクトル)が考えられる(後位後壁梗塞)。
 診断:下後壁梗塞。

12.まとめ
   ベクトル心電図構成スカラー心電図は、上に示したように、各種の臨床病態の診断に対応した特徴的な所見を示す。また、ベクトル心電図法の短所である不整脈の解析が困難であるという欠点をスカラー心電図を記録することにより補うことが出来る。

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