第9章 右室肥大のベクトル心電図

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ベクトル心電図目次へ 10.両室肥大

1. 右室肥大ベクトル心電図の成り立ち
  右室肥大ベクトル心電図の特徴的所見は、QRS環の右前方への偏位と水平面図QRS環の時針式回転である。このようなベクトル心電図の特徴は、下図のような過程で形成される。すなわち、右室肥大が起こると右室筋層は厚さを増し、QRS環後半は右室興奮により作られるようになり、左室興奮による中和が失われる。そのためQRS環後半は肥大した右室側、すなわち右前方に突出する。


 右室拡大の際には、右室前方にある胸骨のために前方への拡大が妨げられ、心臓長軸周りの時針式回転を起こす。したがってベクトル心電図ではQRS環の左方成分が減少し、QRS環後半は右後方に突出する。さらに右室肥大が進行すると、QRS環中央部から後半にかけての部分が右前方に張り出し、水平面図QRS環は8字型回転を示す。さらに右室肥大が進行すると、QRS環中期から後半にかけての右前方への偏位が著しくなり、ついに水平面図QRS環は全体として前方に偏位して時針式に回転するようになり、典型的な右室肥大のベクトル心電図所見が形成される。
右室肥大ベクトル心電図QRS環の特徴的所見の形成過程 (水平面図)

2.右室肥大ベクトル心電図の特徴
  右室肥大の際の特徴的ベクトル心電図所見は次の如くである。
     1) 水平面図QRS環の時針式回転、
     2) QRS環主部の右前方への偏位、
     3) 水平面図、左側面図T環の時針式回転と左後方への偏位、
     4) QRS環左方成分の減少、QRS環終末部(ないし後半)の右後方への偏位。

3.右室肥大ベクトル心電図の諸型
  右室肥大は種々の病態により起こるが、基礎疾患の種類によりそれぞれ特徴的所見を示し、類型的には下図の如く4種類に分類できる。

 A:僧帽弁狭窄症によく見る型、
 B:肺気腫などの際に見る型、
 C:心房中隔欠損症(二次孔欠損)
  に見る型、
 D:肺動脈狭窄、Eisenmenger
  複合、原発性肺高血圧症、
  ファロー四徴症などの際に見る型。
右室肥大ベクトル心電図の4型

  1) 僧帽弁狭窄症
  一般に右室肥大の程度は軽く、正常と同様に水平面図QRS環は反時針式に回転するが、左方成分は減少し、QRS環後半は右後方に突出する。病期が進行して肺高血圧を伴うようになるとQRS環の前方成分が増加し、さらに右室肥大の程度が進行すると水平面図QRS環は時針式に回転するようになる。T環は左後方に向かい、水平面図、左側面図で時針式に回転する。P環は増大し左後方に偏位する(左房負荷)。 
  
水平面図:QRS環起始部は右(または左)前方に向かい、反時針式に回転する。QRS環主部は左後区画にあるが、左方成分は減少する。最大QRSベクトルは左後方に向かい、終末部は右後方にある。肺高血圧を合併するとQRS環前方成分が増加し、さらに進行すると水平面図QRS環は時針式に回転し、QRS環主部は左前方にある。著しい右室肥大例では、QRS環主部が右前方に偏位する例もあるが、僧帽弁狭窄ではこのような高度な例は少ない。
  
左側面図:QRS環起始部は前上方にでて反時針式に回る。QRS環主部は後下方にある。最大QRSベクトルは多くは後下方にあり、終末部は後上方から原点に帰る。
  
前面図:QRS環起始部は右上方にでて時針式に回転し、左下方または下方の最大QRSベクトルに達する。QRS環求心脚は右方にあり、右上方から原点に帰る。著しい肺高血圧を伴うようになると右方成分が増加する。
  
STベクトル:左後下方に向かう。
  
T環:水平面図および左側面図で時針式に回る例が多い(正常は全例が反時針式)。T環は多くは左後下方に向かう。
  
P環:P環は増大し、3投影面ともに反時針式または8字型に回転する。P環主部および最大Pベクトルは左後下方に向かう。

 下図(A)は僧帽弁狭窄症(軽症、26歳、女性)のベクトル心電図である。
 QRS環の形態、回転方向は正常である。側、水平面図でP環は左後方に偏位し、左房負荷がある。水平面図および左側面図で、T環は時針式に回転し(正常は反時針式)、左房負荷がある。水平面図および左側面図でT環は時針式に回転し(正常は反時針式)、QRS環と逆回転し、右室過負荷を反映している。早期の右室肥大においては、本例のようにQRS環のみからは診断できず、T環ことにその水平面図および左側面図の時針式回転から診断される場合が多い。
 ベクトル心電図診断:左房負荷、右室過負荷。

A
僧帽弁狭窄症のベクトル心電図(軽症)

 下図(B)は僧帽弁狭窄症(21歳、女性)のベクトル心電図である。
 水平面図QRS環後半は右後方に突出し、左方成分は減少している。前方成分は増大し、右室肥大と診断される。左側面図・水平面図でP環は増大して左後方に向かい、左房負荷がある。中等症の僧帽弁狭窄症ではこの程度の右室肥大所見を示す例が多い。
 ベクトル心電図診断:右室肥大、左房負荷。

僧帽弁狭窄症のベクトル心電図 (中等症)

  2) 肺気腫
   QRS環起始部は左前(上)方に向かい、水平面図QRS環は反時針式に回る。QRS環後半は著しく後方に延び、右後方(または後下方)から原点に帰る。一般にQRS環は小さく、最大QRSベクトルは立位をとる。QRS環の回転方向は、前面図で時針式、左側面図および水平面図で反時針式である。T環は水平面図、左側面図で時針式に回転する例が多い。
 P環は3投影面共に反時針式に描かれる。最大Pベクトルは大きさを増し、垂直位をとり、左前下方にある(右房負荷)。

 下図(C)は肺気腫(54歳、男性)のベクトル心電図である。
 水平面図QRS環は左方成分が減少し、後半は右後区画に突出している(右室肥大、または心臓長軸周りの時針式回転)。前・側面図でP環は大きく、垂直位をとり、やや前方に向かい、右房負荷の合併が考えられる。
 ベクトル心電図診断:右室肥大、右房負荷

肺気腫のベクトル心電図

 下図(D)は肺気腫例のベクトル心電図である。
 水平面図QRS環起始部は直ちに左前方に向かい、左方成分は減少し、反時針式に回って、QRS環後半は著しく右後方に突出している。この所見は右室肥大または心臓長軸周りの時針式回転による。前・側面図でQRS環主部は著しく上方に挙上し、求心脚は右上方から原点に帰る。肺気腫の際の右室肥大は、他の原因によるそれとは異なり、QRS環左方成分の減少とQRS環後半の右後上方への著しい偏位を示す例が多い。
 ベクトル心電図診断:右室肥大。

肺気腫のベクトル心電図

  3) 心房中隔欠損症
   心房中隔欠損症には一次孔欠損と、二次孔欠損および心内膜床欠損がある。これらの中では二次孔欠損が他の2型に比べて著しく多い。従って、まず二次孔欠損のベクトル心電図所見について述べ、その後に本型と一次孔欠損および心内膜床欠損のベクトル心電図所見との相違について述べる。

  (1)心房中隔欠損症(二次孔欠損、ostium secundum defect)のベクトル心電図
  二次孔欠損型の心房中隔欠損症は右室の拡張期性負荷を起こす代表的疾患であり、不完全右脚ブロックを特徴的心電図所見とする。しかし、心房中隔欠損症の際の不完全右脚ブロックは、通常の心室内伝導障害としての右脚ブロックとは若干異なり、右室流出路肥大の表現であると考えられている。したがってベクトル心電図所見についても、通常の右脚ブロックとは異なった特徴的所見を示す。
   
水平面図:QRS環起始部は右前方にでて、すぐ左方に向かうか、または最初から左前方に向かう。短絡量が少ない軽症例では、水平面図QRS環は反時針式に回転し、QRS環終末部が刻時点の密集を示しつつ右後方から原点に帰る。短絡量が多い例では、水平面図QRS環は8字型または時針式回転を示し、QRS環主部は前方に描かれ、QRS環終末部は刻時点密集を示しつつ右後方から原点に帰る。肺高血圧を合併すると右室の収縮期性負荷が加わり、QRS環は右方偏位の程度を増し、水平面図QRS環は著しく右前方に突出し、QRS環の刻時点密集の所見は不明瞭となる。
   左側面図:QRS環起始部は前上(時に前下)方に向かい、最大QRSベクトルは前下方にある。QRS環は反時針式回転、または複雑な形 (bizarre configuration) を描いた後、後上(あるいは後下)方から原点に帰る。
 
  前面図:QRS環起始部は右上方に向かう例が多いが、左上(下)方に向かう例もある。最大QRSベクトルは左下方にあり、多くは時針式に回転する。QRS環後半は右方に強く突出する。
 
  T環:左後下方に向かい、水平面図、左側面図で時針式に回転する例が多い。
 
  P環:最大Pベクトルは大きさを増し、P環主部は左前下方にある。P環の回転方向は3投影面共に反時針式である。

 下図(D)は二次孔欠損型の心房中隔欠損症のベクトル心電図である。水平面図QRS環は全体としてやや前方にあるが、正常と同様に反時針式に回転し、QRS環終末部は著しい刻時点の密集を示して右前方に向かう。前面図でもQRS環後半は右方に突出している。T環は左後下方にあり、左側面図で時針式に回転する(右室過負荷)。前面図QRS環は時針式に回って下方に描かれ、二次孔欠損型心房中隔欠損症の特徴的ベクトル心電図所見を示す。
 ベクトル心電図診断:不完全右脚ブロック(右室拡張期性負荷、二次孔欠損型心房中隔欠損症)

心房中隔欠損症(二次孔型)のベクトル心電図

  (2) 一次孔欠損と二次孔欠損
    下図は心房中隔欠損症の諸型を示す。

A:二次孔欠損、B:一次孔欠損、
C:卵円孔開存、D:心内膜床欠損。

 二次孔欠損とは心房中隔中央部の欠損で、心房中隔欠損症の中で最も頻度が多い。  一次孔欠損とは心房中隔下部の欠損で、しばしば僧帽弁閉鎖不全を伴う(mitral cleft)。 心内膜床欠損では心房中隔下部の欠損に加えて高位の心室中隔欠損を合併する。
 
卵円孔開存:胎生期の血液循環に重要な役割を演じていた卵円孔は出生と共に閉鎖するが、これが閉鎖せずに残存したものである。通常は左房圧が右房圧よりも高く、卵円孔は卵円孔弁に覆われて短絡を作らないため、心臓には血行動態的負荷は加わらず、病的意義は少ない。したがって、肺高血圧を伴わない通常の卵円孔欠損では右室の拡張期性負荷は認められず、心電図所見も正常である。

 心房中隔欠損症の際には、二次孔欠損、一次孔欠損、心内膜床欠損の何れの型においても、右室の拡張期性負荷を生じ、心電図は不完全(または完全)右脚ブロック所見を示す場合が多い。したがって、先天性心疾患で不完全(完全)右脚ブロック所見を認めた際には、常に「心房中隔欠損症」の可能性について考慮する必要がある。

 経験的なことであるが、心房中隔欠損症の際には、QRS軸が右軸偏位を示すか左軸偏位を示すかにより、二次孔欠損と一次孔欠損・心内膜床欠損を鑑別することが出来る。下図は、一次孔欠損と二次孔欠損の場合の前面図QRS軸の方向の分布を示す。二次孔欠損では、QRS軸は右軸偏位ないしその傾向を示すが、一次孔型欠損では著明な左軸偏位を示す例が多い。

二次孔型および一次孔型心房中隔欠損症
における前面図QRS軸の分布
  ◯ 二次孔型心房中隔欠損症、
  △ 一次孔型心房中隔欠損症。

 一次孔欠損および二次孔欠損は共に不完全右脚ブロック所見を示し、水平面図QRS環の所見は類似するが、前面図QRS環は両者間で著しく異なる。一次孔欠損では、前面図QRS環は反時針式に回転して、QRS環主部は上方区画に描かれる。他方、二次孔欠損では前面図QRS環は時針式に回転し、QRS環主部は下方区画に描かれる。

 下図(E)は一次孔欠損型の心房中隔欠損症のベクトル心電図である。
 水平面図QRS環はわずかに右前方にでて、直ちに左方に向かい、時針式に回転してQRS環主部は前方に描かれ、右室肥大を表現している。特徴的所見は前面図に見る。QRS環起始部は僅かに右下方に向かうが、直ちに左方に向かい、QRS環全体として反時針式回転を示して、著しく上方に偏位している。QRS環終末部(求心脚)は刻時点の密集を示す。
 ベクトル心電図診断:不完全右脚ブロック、右室肥大(右室拡張期性負荷、一次孔欠損型心房中隔欠損)

E
一次孔欠損型の心房中隔欠損症のベクトル心電図

 下図上は二次孔欠損型、下は一次孔欠損型の心房中隔欠損症のベクトル心電図を対比して示す。前者(二次孔欠損)では前面図QRS環が時針式に回転して下方区画に描かれている。後者(一次孔欠損)では前面図QRS環が反時針式に回転して上方区画に描かれている

上:二次孔欠損、下:一次孔欠損

  4) ファロー四徴症、肺動脈狭窄症、原発性肺高血圧症, Eisenmenger複合
  水平面図QRS環の時針式回転とQRS環主部の右前方への偏位を特徴とする。終末部に刻時点密集は認めない。ファロー四徴以外のこれらの疾患群ではT環は左方で、著しく後方に向かうが、ファロー四徴症では左方または左前方に向かう。この所見はかなり特徴的で、ファロー四徴症と他の右室収縮期性負荷疾患との鑑別に役立つ。

 
 水平面図:QRS環起始部は右前(または左前)方に出て、少し左前方に向かうが、間もなく時針式に回って右方に進み、最大QRSベクトルは著しく右前方に向かう。QRS環終末部は右前(または右後)方から原点に帰る。
  
左側面図:QRS環は前上方に出て直ちに下方に向かい、8字型または時針式回転を示して、前下方の最大QRSベクトルに達する。QRS環終末部は前上方に向かう。
  前面図:QRS環起始部は左(上)方に向かうが、直ちに右下方に転じ、時針式に回って右下方にある最大QRSベクトルに達し、右上(下)方から原点に帰る。
 
 STベクトル:左後上(下)方に向かう。
  T環:T環は左後上(下)方に向かい、水平面図および左側面図で時針式に回転する。既述したようにファロー四徴症以外の右室収縮期性負荷疾患ではT環は左方で著しく後方に向かう。ファロー四徴症では、T環は左方または左前方に向かう例が多い。
  P環:最大Pベクトルは著しく大きさを増して垂直位をとり、P環主部は右前下方にある。回転方向は3投影面共に反時針式に回転する。 

 下図(F)はファロー四徴症(16歳、男性)のベクトル心電図である。
 水平面図で、QRS環起始部は左前方に出て、間もなく右方に転じ、時針式に回転してQRS環主部は右前方に描かれ、やや後方から原点に帰る。前面図でもQRS環の右方偏位が著しい。水平面図、左側面図のT環は時針式に回転している。左側面図QRS環は複雑な形を示す。QRS環求心脚に軽度の刻時点密集があるが、右脚ブロックの際のいわゆる終末付加部(terminal appenndage) ほど著しくない。T環は左側方に向かい、後方への偏位は認めない(通常の右室負荷ではT環は後方に偏位する)。
 ベクトル心電図診断:右室肥大(高度)。

ファロー四徴症のベクトル心電図

 下図(G)もファロー四徴症のベクトル心電図である。
 水平面図QRS環は時針式に回転し、左方成分は減少している。QRS環主部は右前方に描かれ,右後方から原点に帰る。いわゆる終末部遅延はない。前面図でも右方成分の増大が著しい。ファロー四徴症では、本例のようにQRS環が著しく右前方に描かれ、右後方から原点に帰る例が多い。T環の後方偏位を認めず、むしろわずかに前方に向かっいる。この所見はファロー四徴症に特徴的である。

ファロー四徴症のベクトル心電図

 下図(H)は肺動脈狭窄症のベクトル心電図である。
 水平面図で、QRS環起始部は左前方に出て時針式に回り、QRS環主部は右前方に描かれる。open QRS環を示し、STベクトルは左後方に向かい、QRS−Tベクトル夾角は拡大している。P環は大きさを増して前方に向かう(右房負荷)。
 ベクトル心電図診断:右室肥大(高度)、右房負荷。

肺動脈狭窄症のベクトル心電図

 下図(I)は肺動脈狭窄症のベクトル心電図である。
  水平面図QRS環は時針式に回って前方に描かれている。いわゆる終末部遅延の所見はない。水平面図、左側面図でT環は時針式に回転している。
 ベクトル心電図診断:右室肥大(高度)。

肺動脈狭窄症のベクトル心電図

4.右室の収縮期性負荷と拡張期性負荷
  1) 右室の収縮期性負荷、拡張期性負荷を起こす疾患

血行動態的負荷様式 疾患名
収縮期性負荷  肺動脈狭窄、原発性肺高血圧、ファロー四徴症、
 Eisenmenger症候群
拡張期性負荷  心房中隔欠損症、肺動脈弁閉鎖不全,
 Ebstein奇形、三尖弁閉鎖不全

  2) 右室収縮期性負荷時のベクトル心電図
   右室収縮期性負荷の際のベクトル心電図所見は、僧帽弁狭窄、ファロー四徴、肺動脈狭窄、肺高血圧症の項で述べたような いわゆる右室肥大所見を示す。
 すなわち、
     (1) 右前方に向かうQRS環初期ベクトルの減少または消失、
     (2) 水平面図QRS環の時針式回転、
     (3) いわゆるQRS環終末部遅延所見の欠如、
     (4) T環の左後方への偏位(ファロー四徴ではこの所見をは認めない場合がある)。
 
 3) 右室拡張期性負荷時のベクトル心電図
   右室拡張期性負荷の際には、心房中隔欠損症の項で述べた如く下記のような特徴的所見を示す。
    (1) 水平面図QRS環は8字型または時針式に回転し、QRS環終末部には刻時点が密集し、右後方(または右前方)に向かう(終末部遅延, terminal conduction delay)。
    (2) 水平面図では右前方に向かうQRS環初期ベクトルがあり、左方成分の減少は著しくない。

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