第8章 左室肥大のベクトル心電図

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1. 左室肥大ベクトル心電図の成り立ち
  左室肥大が起こると左室心筋は厚さを増し、その興奮には右室よりも長時間を要する。そのためにQRS環後半は主として左室興奮のみにより作られ、反対側心室(右室)の起電力による中和が消失するため、QRS環後半は肥大左室側、すなわち左後上方に著しく偏位する。下図は前面図における左室肥大時のQRS環形成の過程を示す。

 QRS環後半は肥大した左室側、すなわち左後上方に偏位し、前面図QRS環は8字型、さらには反時針式に回転するようになる。前面図QRS環最大ベクトルの角度が+40度より大きい(より立位をとる)にもかかわらず、前面図QRS環が明らかに反時針式回転を示す場合は左室肥大を考える。
 T環は正常例では左前下方に向かうが、左室肥大の進行と共に右前方に向かうようになる。このような場合、QRS環は原点に帰らずにT環に移行し、open QRS loopを示し、右前上方に向かう明らかなSTベクトル(Jベクトル)を作る。かくして、QRS環は左後方、T環は右前方に向かい、QRS−Tベクトル夾角は拡大し、典型的な左室肥大のベクトル心電図を作る。

2.左室肥大のベクトル心電図所見

 左室肥大のベクトル心電図の特徴は下記の如くである。
   1) 最大QRSベクトルの増大、
   2) 最大QRSベクトルの左後方への偏位、
   3) 前面図QRS環の反時針式回転、
   4) T環の前(右)方への偏位、それに伴うQRS−Tベクトル夾角の拡大。

 上記のベクトル心電図所見は、左室肥大時の一般的所見であるが、基礎疾患による血行動態的負荷様式の相違により、異なった特徴的所見を示す。左室の血行動態的負荷様式としては、左室収縮期性負荷(systolic overloading )と左室拡張期性負荷(diastolic overloading)がある。このような血行動態的負荷を起こす基礎疾患としては次のようなものがある。

左室収縮期性負荷 高血圧、大動脈狭窄、大動脈縮窄、
閉塞型肥大型心筋症など。
左室拡張期性負荷 大動脈弁閉鎖不全、僧帽弁閉鎖不全、
心室中隔欠損、動脈管開存、
Valsalva洞動脈瘤破裂など。

 3.左室収縮期性負荷のベクトル心電図所見
  左室収縮期性負荷のベクトル心電図所見の特徴は次の如くである。
    1) 右前方に向かうQRS環初期ベクトル(初期中隔ベクトル)の減少、
    2) 最大QRSベクトルの大きさの増大、
    3) 最大QRSベクトルの左後方への偏位、
    4) T環およびSTベクトルの右前方への偏位とQRS−Tベクトル夾角の拡大、
    5) 右後方に向かうQRS環終末部の消失。

  下図 (A) は高血圧症 (33歳、男性)のベクトル心電図である。水平面図で右前方に向かうQRS環初期中隔ベクトルは減少している。QRS環は左後方区画に大きく描かれている。前面図QRS環は細長いが、反時針式に回転し、左側面図でもQRS環の後方偏位が著しい。T環は著しく前方に偏位し、QRS−Tベクトル夾角は拡大傾向を示す。

  ベクトル心電図診断:左室肥大(収縮期性負荷)

 下図(B)は27歳、男性、高血圧例のベクトル心電図である。水平面図QRS環初期ベクトルは減少している。前面図QRS環は8字型回転を示す。最大QRSベクトルは左後下方に向かう。 open QRS環を示し、右方に向かうSTベクトルを認める。T環は右前方に向かい、QRS−Tベクトル夾角は180度に近い拡大を示す。
 ベクトル心電図診断:左室肥大、冠不全(左室収縮期性負荷)

 下図(C)は30歳、男性、高血圧例のベクトル心電図である。前面図QRS環は反時針式に回転し、QRS環後半は左上方にある。水平面図で右前方に向かう初期中隔ベクトルは著しく減少し、前面図QRS環は反時針式に回転して著しく左後方に偏位した最大QRSベクトルに達する。T環は右前方に向かい、3投影面共に180度に近いQRS−Tベクトル夾角の拡大を示し、左室の収縮期性負荷に典型的な所見を認める。
 ベクトル心電図診断:左室肥大、冠不全(左室収縮期性負荷)

4.左室の拡張期性負荷のベクトル心電図所見
  左室の拡張期性負荷を起こす疾患の際には、次のような特徴的ベクトル心電図所見を示す。
    1) QRS最大ベクトルの大きさの増大と左後方への偏位、
    2) 右前方に向かうQRS初期ベクトルの増大(初期中隔ベクトルの増大)、
    3) 水平面図QRS環の8字型回転、
    4) STベクトルは左前方に偏位するが、T環は正常方向(左前方)にとどまり、QRS−Tベクトル夾角は拡大しない。
    5) QRS環遠心脚(または起始部)は求心脚よりも刻時点の密集を示し、QRS環最大ベクトル到達時間が遅延する。

 下図(D)は、大動脈弁閉鎖不全症(30歳、男性)のベクトル心電図である。前面図QRS環は反時針式に回転し、QRS環前半(遠心脚)は後半(求心脚)に比べて刻時点がやや密集している。前面図、水平面図で最大QRSベクトルは左後方に向かい、大きさが増大している。T環は正常方向(左前下方)に向かう。
 ベクトル心電図診断:左室肥大(左室拡張期性負荷)


 下図(E)は13歳、男性、大動脈弁閉鎖不全症のベクトル心電図である。水平面図QRS環初期ベクトルは少し大きさを増して右前方に向かい8字型回転を示す。前面図QRS環は8字型に回転し、主部は反時針式に回転している。QRS環前半(遠心脚)は後半(求心脚)に比べて刻時点の密集を示す。
 ベクトル心電図診断:左室肥大(左室拡張期性負荷)

 下図(F)は17歳、男性、大動脈弁閉鎖不全症のベクトル心電図である。水平面図QRS環は8字型回転を示し、末梢のQRS環主部は時針式に回転している。前面図QRS環は8字型に回転している。最大QRSベクトルは左後下方に向かう。T環は左方に向かい、QRS/T比は正常範囲内にある。QRS環前半(遠心脚)は後半(求心脚)に比べて刻時点の密集を示す。
 ベクトル心電図診断:左室肥大(左室拡張期性負荷)

 下図(F)は心室中隔欠損症の4歳、女児のベクトル心電図である。水平面図のQRS環起始部(遠心脚)は右前方に著しく増大し、正常例と同様に反時針式に回転して左後方の最大QRSベクトルに達している。前面図QRS環起始部は著しく右方に向かい、反時針式に回転している。
 ベクトル心電図診断:左室肥大(左室拡張期性負荷)

 下図(G)は動脈管開存症(7歳、男児)のベクトル心電図である。水平面図QRS環起始部は大きく右前方に突出し、反時針式に回転し、著しく左後方に偏位した最大QRSベクトルに達している。前面図QRS環起始部は著しく右上方に突出し、反時針式に回転している。T環は大きさ・方向共に正常である。
 ベクトル心電図診断:左室肥大(左室拡張期性負荷)

 下図(H)はValsalva洞動脈瘤右室内破裂(39歳、女性)のベクトル心電図である。水平面図QRS環起始部は右前方に向かった後、方向を転じて反時針式に回転し、左後方の最大QRSベクトルに達している。T環は大きく、左後下方に向かい、QRS−Tベクトル夾角の拡大はない。
 ベクトル心電図診断:左室肥大(左室拡張期性負荷)、右室負荷

5.血行動態的負荷様式とベクトル心電図所見との関連
  上述した如く、基礎疾患による左室の血行動態的負荷様式の相違によりベクトル心電図が特徴的所見を示すことは明らかであるが、両者の関係は絶対的なものではない。すなわち、最初は血行動態的負荷様式が左室の収縮期性負荷であっても、心臓負荷が増大して機能不全に陥ると、左室は拡張し、拡張期性負荷所見が加わる。また、左室の拡張期性負荷疾患においても、代償不全が起こると収縮期性負荷が加わる。このように収縮期性負荷と拡張期性負荷とは確然と区別し得ない場合が多い。とはいえ、両者に典型的なベクトル心電図所見の存在も明らかであり、このようなベクトル心電図所見を認めた場合は、ベクトル心電図所見から左室の血行動態負荷様式、ひいては基礎疾患を推測することが出来る場合も多い。

6.左室肥大のベクトル心電図診断基準
 左室肥大のベクトル心電図診断基準が諸家により提唱されているが、上述の如く血行動態的負荷様式により異なるため、画一的な基準を示すことは困難であり、ベクトル心電図法においては波形に基づく診断(pattern diagnosis)が重要である。しかし、血行動態的負荷様式の如何にかかわらず。QRS最大ベクトル増大は左室肥大の重要なベクトル心電図所見である。戸山は、QRS最大ベクトルの大きさおよび水平面図最大Tベクトルの方向の変化(前方偏位)に関し、下記のような基準を提唱している。これらの内、何れか1項目を満たせば左室肥大ありと診断する。
  1) 水平面図の主QRSベクトル>2.0mV、
  2) 水平面図最大Tベクトルの角度>70度。

 主QRSベクトルとは、水平面図QRS環の内、最も左方に張り出している点のベクトルのことである。下図は水平面図における最大QRSベクトル、半面積ベクトルおよび最大左方ベクトルを示す。戸山がいう水平面図主QRSベクトルは、下図の最大左方ベクトルと同一である。また、半面積ベクトルとは、各投影面(この場合は水平面図)においてQRS環の面積を二分するベクトルのことである。

 A:最大QRSベクトル
 B:半面積ベクトル
 C:最大左方ベクトル

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