第30例 急性右室拡張期性負荷(急性肺血栓・塞栓症

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第30例

第30例:67歳、女性
主訴:胸痛、ショック症状
病歴:開腹手術を受け、術後は順調に経過していしたが、手術後2週間目に、突 然、胸痛と共に血圧低下などのショック症状を起こした。
下図は入院時心電図で、ショック症状出現前のものである。

また、下図はショック症状出現後の心電図である。上の心電図と合わせ考えて、本例にどのような事態が発生してショック症状を起こしたと考えられるか

質問:
1.ショック症状出現前の心電図について:
 1)リズムは?
 2)QRS軸は?
 3)心電図診断は?

2.ショック症状出現後の心電図について:
 4)リズムは?
 5)QRS軸は?
 6)QRS波の変化は?
 7)T波の変化は
 8)この心電図の診断は?

3)ショック症状出現前後の心電図を比較して、本例でショック症状を起こしたのはどのような機序によるか?(どのような病態が出現したか?)
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第30例解説:
1.ショック症状出現前の心電図について:
 1)リズム:洞リズム
 2)QRS軸は?:正常QRS軸
 3)心電図診断は?
   P, QRS波には異常はない。V1〜3  のT波が陰性である。これはTベクトルが後方に向かう所見であり、右室負荷の際に見る場合が多い。しかし、この心電図では右室負荷を示唆するような他の所見(QRS軸の右軸偏位、右房負荷所見、心臓長軸周りの時針式回転、右側胸部誘導のR波増大とR/S比増大、右室負荷を起こす基礎疾患の存在など)を認めないため、異常所見とは考え難い。

 因みに壮年女子群でのV3の陰性T波出現率は2%と報告されている(Simonson著、中川喬市、岡島光治訳著:心電図ー正常と異常の鑑別、医学書院、東京、1961)。これらのことを総合的に判断して、本例のショック症状発現前の心電図は「正常心電図」であると考えられる。
 
2.ショック症状出現後の心電図について:
 4)リズムは?  :
洞頻脈(心拍数150/分)
 5)QRS軸は?   :右軸偏位
 6)QRS波の変化は?
  (1)第1誘導に深いS波があり、QRS軸は右軸偏位を示す。
  (2)肢誘導で、QRS波の振幅は第3誘導>第2誘導>第1誘導であるが、T波の振幅はQRSの振幅の順序とは逆に第3誘導<第2誘導<第1誘導である。

 このように肢誘導でQRS波とT波の大きさの順序が逆になる場合を「肥大型心電図」と呼び、本例は「右肥大型」と診断される。標準肢誘導において、QRS波とT波の大きさが平行的に変化する場合を「位置型」と呼ぶ。
  
      右肥大型  :QRS波  第1誘導<第2誘導<第3誘導
                   T波       第1誘導>第2誘導>第3誘導
       右位置型:  QRS波  第1誘導<第2誘導<第3誘導
                   T波       第1誘導<第2誘導<第3誘導
       左肥大型:  QRS波  第1誘導>第2誘導>第3誘導
                   T波       第1誘導<第2誘導<第3誘導
       左位置型:  QRS波  第1誘導>第2誘導>第3誘導
                   T波       第1誘導>第2誘導>第3誘導
        この心電図は、「右肥大型」の心電図である。
 
    (3) V1,2のQRS波はrS r' 型を示し、不完全右脚ブロック所見を示す。すなわち、右室の拡張期性負荷の表現と考えられる。
 
   (4) V5, 6まで深いS波があり、胸部誘導の移行帯(R/S=1)はV5に認められる。正常ではV3に認められるので、この心電図では「心臓長軸周りの著明な時針式回転」を認める。この所見は右室負荷の際にしばしば認める所見である。
 
 7)T波の変化は
   胸部誘導のV1からV6の全ての誘導でT波が陰性で、Tベクトルの著明な後方偏位があり、高度の右室負荷の存在を示している。
 
 8)この心電図の診断は?
 McGinn, Whiteは急性肺性心(肺梗塞、急性肺塞栓症)に特徴的心電図所見として、下記のようなMcGinn-White patternが重要であることを指摘している。この所見は、第1誘導に深いS波があり、第3誘導にQ波と陰性T波を示す所見をいい、「S1Q3T3型」とも表現される。本例はこのMcGinn-Whiteのpatternを示している。
 
 不完全右脚ブロックは、単純な右脚の伝導障害の場合もあるが、右室拡張期負荷の表現である場合がある。その何れに属するかは、その他の心電図所見および臨床症状およびその他の検査所見の総合判断に基づいて行われる。

 本例は、ショック症状出現前・後の心電図を比べると、ショック症状出現後の心電図においては、著明な右軸偏位の出現、不完全右脚ブロックの出現(右室拡張期性負荷)、著明なTベクトルの後方偏位の出現(右室負荷)、著明な心臓長軸周りの時針式回転の出現(右室負荷)などの所見を認め、右室負荷が急激に出現したことは明らかである。また、
 従って、本例の心電図診断は急性右室拡張期性負荷と言うことになる。、

3. ショック症状出現前後の心電図を比較して、本例でショック症状を起こしたのはどような機序によるか?(どのような病態が出現したか?)
 
  本例は、胸痛、ショック症状と共に、急性右室拡張期性負荷が出現している。右室拡張期性負荷を起こす典型的病態は「急性肺塞栓症(肺梗塞、急性肺性心)」である。本例では、肺梗塞に典型的とされているMcGinn-Whiteのpatternを示していることも、この考えの妥当性を示している。

 肺性心には、急性肺性心と慢性肺性心とがある。
 慢性肺性心では右室の収縮期性負荷を起こし、基礎疾患としては肺気腫、気管支喘息、肺線維症、高度の脊椎・胸郭異常などがある。肺気腫の際の心電図は第29例の解説において示した。

 急性肺性心は、急性肺塞栓症、肺梗塞と同義的であり、心電図所見は慢性肺性心と対称的に右室拡張期性負荷の表現としての不完全右脚ブロック所見を示す。しかし、この所見は極めて一過性で、数時間〜数日間で消失するため注意を要する。
 以上

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