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長屋門(ながやもん)は、日本列島の伝統的な門形式の一つです。長屋門は、最初は諸大名の武家屋敷門として発生しましたが、その後、有力武士の武家住宅の表門の形式として広く利用されるようになりました。武家屋敷の長屋門では、門の両側部分に門番の部屋や仲間部屋が置かれ、家臣や使用人の居所に利用されていました。

 また郷村武士の家格を持つ家や、苗字帯刀を許された富裕な農家・庄屋でも長屋門は作られました。さらに明治以後は、上記の他に富農の家屋敷にも作られるようになったとのことです。このような長屋門では、門の両側部分は使用人の住居・納屋・作業所などとして利用されていました。

  長屋門の意匠や構造は、その家の格式や禄高によって細かく決められていたとのことです。例えば武家屋敷での長屋門の壁については漆喰(しっくい)が許されていましたが、民家では板張りが基本となっていました。江戸時期の状態のまま現存する民家の長屋門では、漆喰や彩色がある場合には、武家との姻戚関係があったり、普請協力により武家屋敷の旧長屋門の払い下げを受けた場合など、特別な場合のみでした。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から改変引用)

 森家の長屋門では、門の両側の家屋は二階建てで、一階も二階も人が住居出来るようになっており、100年くらい前(八代勇太郎の時代)には借家人の2家族が住んでいました。しかし、六代種之輔の時代までの醸造業を営んでいた頃は、恐らく醸造に関連した作業場ないし作業員(奉公人)の住居な度として利用されていたのではないかと思います。

 下図は門長屋の全景を示します。

森家内部からみた門長屋 中町通り(東側)から見た長屋門 中町通り(西側)から見た長屋門

下図は、門長屋の中央部にある門(長屋門)を閉じた状態を外部および内部から見た写真です。

森家内部kらみた見た状態 中町通から見た状態

長屋門を開いて中町通から森家内部を見た写真を下に示します

中町通正面から森家
内部を眺めた写真
中町通から門内をやや
左側に眺めた写真
中町通から門内をやや
右側に眺めた写真

門長屋工事中の写真(2008年〜2009年)(国重要伝統的建造物群修復工事)

長屋門修復工事とその掲示 文化庁伝統的建造物群修復工事掲示 大型クレーン車による修復工事
門長屋の屋根修復工事 門長屋修復工事見学視察団(近畿建築士会) 門長屋の屋根修復終了段階

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