脇町の風物5タイトル

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脇町の風物5内容

 徳島県から将棋の名人が出たことは知らない人が多いが、実は脇町から第12世将棋名人が出ている。その人の名は小野五平といい、脇町南町卯建通りの西の方にある平田家の出身で、その墓碑が脇町安楽寺境内に設置されている。小野名人の名人位就任は明治31年(1898)4月初旬で、就任披露宴が明治33年5月27日に開催されている。

 小野五平の生家は、脇町字脇町516番地で、当主 平田喜一郎氏の3代前の人である。天保2年10月2日の出生で,大正10年1月29日に死去している。小野五平の後援者には,福沢諭吉、森有礼など当時の名士が多い。

 下の写真は、脇町安楽寺の境内に設置されている小野五平の記念碑である。

小野五平墓石
第12世将棋名人
平田五平記念碑
(脇町 安楽寺)

 脇町上野の八幡神社本殿の左隣りに國指定重要文化財「旧長岡家住宅」がある。長岡家住宅は、もともと脇町西大谷637番地 尾崎部落(標高360m)の山の中腹に建てられた農家で,享保20年(1735)の建物です。この建物は、この地方に広く分布した横2間取りの山村農家の代表的建築として、昭和51年(1876)に國の重要文化財に指定されました。その後、脇町に寄贈され、現在の八幡神社横の広場に移転されました。この復元工事が昭和54年(1979)に完成し、現在は無料で一般公開されています。
(以上の記述は脇町発行の「旧長岡家住宅」案内パンフレットによる)

旧長岡邸
旧長岡邸(國指定重要文化財)

 最明寺は、脇町上野の高台にあり、丁度、八幡神社および旧長岡邸伸す具左側に位置しています。晩夏から初秋にかけて境内の萩の花が美しく咲くために「萩の寺」という別名で呼ばれています。また四国三十六不動霊場の札所、阿波西国三十三観音霊場札所としも有名で、各地からいつも多くの参拝の方々が訪れています。


 最明寺は平安時代の終わりごろに創建され、源平の争乱の頃、この地方を本拠とした豪族が祈願したものか、毘沙門、阿弥陀如来、聖観音菩薩などの平安後期の仏像がまつられているとのことです。

 鎌倉時代には、執権最明寺入道北条時頼が来訪し、そのときの住職と談論に日を重ねたという伝説が残っており、これが最明寺という寺名の由来となっています。(以上、最明寺ホームページから改変引用) 

 下図は最明寺の写真です。


最明寺入り口 最明寺
最明寺入り口 最明寺正面
最明寺本堂 最明寺本堂
脇町上野 最明寺 上野 最明寺本堂

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