症例5の解説

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 Aの心電図所見:T,aVL誘導で著しいST低下、V、aVFでST上昇を認める。特異な所見は、QRS波の後方に結節形成があり、この部が変形している所見であり、一見、人工産物を疑わせる。
 しかし、この所見は1分後の心電図(B)においても認められ(再現性)、QRS波の後方の小さい波として認められる。A図で認められたST偏位はB図では不明瞭になっている。B図の4分後に記録されたC図では、このQRS波の後方の小さい波は最早認められなくなり、ST偏位も正常化している。

 このQRS波の後方の小さい波をどのように考えるべきであろうか?

房室ブロックを伴う心房性期外収縮による二連脈:T波の後方に早期に出現した
変形したP波(心房性期外収縮)を認めるが、心室群は伴っていない。

 上の心電図は、別の例で記録された房室ブロックを伴う心房性期外収縮の二連脈である。症例5の図,A,BのST部の変形はこの心電図と類似しており、「房室ブロックを伴う心房性期外収縮の二連脈」のP波によるST部の変形と考えられる。。実際、図Dのホルター心電図に見るように、心房性期外収縮が多発している。

 図1,2の心電図にみるST偏位はどのような機序 に由来するのであろうか?下図左は本例の冠動脈造影所見であるが、冠動脈には有意の狭窄を認めない。

冠動脈造影 冠動脈閉塞時の各指標の出現順序
A:左冠動脈(左)、右冠動脈(右)ともに
有意狭窄を認めない。
B:バルーンカテーテルによる冠動脈閉塞時
の各指標の出現順序

 図Aでは著明なST偏位を認めるが、5分後のC図の心電図では最早ST偏位は認められなくなっている。このST偏位は心筋虚血を反映すると考えられ、その原因としては冠動動脈造影に有意な狭窄所見を認めなかったことから、「冠動脈攣縮」が最も強く考えられる。

 それでは、何故、本例に冠動脈攣縮が起こったのであろうか?本例は風邪気味で、激しい咳を訴えていた。ゴルフから帰宅後、近医を訪れた際に、医師から喀痰検査のために痰を喀出するように指示され、無理に痰を喀出しようとして、激しく怒責した直後にA図の心電図が記録されている。この際、胸痛は一切自覚していない。上図右は、バルーンカテーテルで冠動脈を完全閉塞した際の心筋虚血の各指標の出現順序を示す。先ず、血行動態的な指標が変化し、次いで心電図の虚血性変化が出現する。その後、7〜8秒経ってはじめて胸痛が出現する。従って、心電図上の虚血性変化出現後、胸痛出現までの時間帯では、心電図的には虚血が把握されるが、自覚的には狭心症状は出現しない。このような心電図変化のみを示す心筋虚血発作を「無痛性心筋虚血 (silent myocardial ischemia,SMI)」と呼ぶ。

 本例の無痛性心筋虚血発作は、冠動脈造影所見に異常を認めなかったことから「冠動脈攣縮」が考えられる。では、何故本例に冠動脈攣縮が誘発されたのであろうか?本例では、近医を受診した際、喀痰検査用の喀痰を喀出するために激しく怒責した直後に心電図記録が行われた。

下の表は冠動脈攣縮を起こす諸因子を示す。

 1. 喫煙
 2 .副交感神経興奮薬(ピロカルピン、メタコリン)
 3. 交感神経α受容体興奮薬(フェニレフリン、アンフェタミン、
   プロプラノロル使用例へのエピネフリン投与)
 4. 交感神経β受容体遮断薬(プロプロノロル、
   メトプロローlル)
 5. 麦角アルカロイド(エルゴタミン、エルゴノビン)
 6. LSD(幻覚剤、lysergic acid dethylamide)
 7. アスピリン(大量)
 8. インドメタシ(cyclooxygenase抑制薬)
 9. アルコール
10. 硝酸薬の突然の中止(週末における薬工場
   作業員での狭心症発症)
11. 運動(一部の例で)

 上記の冠動脈攣縮を起こす諸要因の1つに副交感神経興奮が上げられている。激しい怒責は副交感神経興奮を惹起することは広く知られており、このことが本例の冠動脈攣縮の原因となったことが推察される。



 以上、本例は喀痰を喀出するための激しい怒責により誘発された冠動脈攣縮により無痛性心筋虚血を起こし、そのため心電図上ST偏位を起こし、同時に「房室ブロックを伴う心房性期外収縮の二連脈」を伴い、心電図所見を複雑にしたものである。本例のその後の経過は順調で、狭心症の出現も認められない。 

診断:冠動脈攣縮による無痛性心筋虚血、房室ブロックを伴う心房性期外収縮の二連脈

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