心房負荷
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1.正常P波
1.右房興奮と左房興奮
心房負荷を考える前に、正常P波の性質について理解しておく必要があります。心房の興奮は洞結節から始まりますが、洞結節は右房内にあるため、心房興奮はまず右房興奮から始まります。ついで興奮は右房と左房を連絡する心房内興奮伝導路であるBachamann(バツハマン)束を通って左房に伝達されます。
従って、P波は下図のように3部から構成されます。すなわち前1/3は右房興奮、中央1/3は左右両房の興奮,後1/3は左房興奮で構成されます。下図右は1mV=16cm(通常感度の16倍に増幅)の感度で、1000mm/秒(通常の4倍)の速度で記録したU誘導心電図P波です。
正常拡大記録心電図で見たP波(U誘導)の上行脚および下降脚にはこの図のようにそれぞれ各1個の結節ないしスラーを認めます。この上行脚の結節は左房興奮の開始、下降脚の結節は右房興奮の終了を反映しており、右房・左房を分けて診断することができます。このようなP波上行脚および下降脚の結節(スラー)は、通常の心電図記録でも注意深く観察すると認めることが出来る場合が多くあります。
P波の模型図(A)とU誘導P波の拡大高速記録心電図(B) P波の上行脚・下降脚には結節があり、前者は左房興奮開始、 後者は右房 興奮終了を示す。 |
下図は、正常例の標準12誘導心電図の拡大高速記録心電図です(1mV=16mm, 100mm/秒)。U誘導の上行脚・下降脚の結節(スラー)の位置はほぼ同じ高さですが,T、V5,6誘導では左房成分;V1では右房成分が強調されて認められます。
標準誘導心電図の高速拡大記録 (感度16倍、速度4倍) U誘導では左・右興奮を反映するスラー
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2.P波の正常値
P波の幅、振幅、角度の正常値を下表に示します。
1) P波の幅の正常値(秒)
研究者 | 対象 | 誘導 | 平均 | 範囲 |
ニユーヨーク心臓協会 | 1週〜1月 | ・ | ・ | 0.03〜0.08 |
6月〜1歳 | ・ | ・ | 0.04〜0.08 | |
16〜20歳 | ・ | ・ | 0.08〜0.12 | |
Ashman,Hull | 小児 | U | 0.065 | 0.04〜0.09 |
成人 | U | 0.080 | 0.06〜0.11 | |
新居・森 | 成年男子 | U | 0.102 | 0.08〜0.12 |
V1 | 0.073 | 0.044〜0.115 |
2)P波振幅の正常値(mm)
/ | Ashman, Hull | ニューヨーク心臓協会 | 新居・森 | |||||
小児 | 成人 | 平均 | 範囲 | |||||
平均 | 範囲 | 平均 | 範囲 | 範囲 | ||||
T | 0.70 | 0〜1.5 | 0.55 | 0〜1.1 | 0.5〜2.5 | 1.0 | 0.3〜2.0 | |
U | 1.30 | 0.5〜2.5 | 1.25 | 0.3〜2.5 | ||||
V | 0.60 | −0.7〜2.0 | 0.80 | −1.0〜2.0 |
3)P軸の正常値
Frank誘導ベクトル心電図における最大Pベクトルの方向、 平均±2×標準偏差 |
以上を総括しますと、P波の幅は0.12秒以上を病的拡大(左房負荷)、振幅は2.5mm以上を病的増大(右房負荷)と診断してよいと思われます。P波は心房筋の脱分極に相当し、心室興奮について言えばQRS波に相当します。心室興奮の再分極(興奮消退)を表すT波に相当する波は心房興奮についてはどの波に相当するのでしようか?
心房興奮における再分極波(心室のT波に相当する波)は心房性T波と呼ばれ、P波にすぐ引き続いて現れ、ST部の前半まで続いています。下図に心房性T波とその時間的関係を示します。
第一度房室ブロック例の 拡大高速心電図 P波に続いて心房性T波(Ta波)を認める。 |
心房性T波と心室群との時間的関係を示す模型図 (Zimmerman) |
2. 左房負荷
左房負荷の際の心電図変化としては、下記の所見が認められます。
P波の幅 | |
P波の振幅 | |
P軸の変化 | P軸の左軸偏位 |
P軸の時針式回転(後方回転) | |
P波形の変化 | 標準肢誘導のP波形(僧帽性P波) |
V1のP terminal force増大(Morris's index) |
1.P波の幅の増大:>0.12秒以上の場合には左房負荷と診断されます。
2.P波の振幅増大:左房負荷時にも増大するが、むしろ右房負荷所見として重要です。
3.P軸の左軸偏位:左房負荷時には、P軸は左軸偏位を示しますが、この所見のみにより左房負荷を診断することは適当でありません。むしろ左房負荷の補助所見と考えるのが妥当です。この際、P平均軸の左軸偏位の場合もありますが、P終期ベクトルの左軸偏位のみを認める場合もあります。
4.P軸の後方回転:胸部誘導におけるP波移行帯の後方偏位として示されます。下表に胸部誘導におけるP波移行帯の出現率を示しますが、V1を越えた左方の誘導にP波移行帯(二相性P波)を見る頻度は正常例では1%のみですので、このような所見を認めた場合は左房負荷の可能性が強いと考えられます。
胸部誘導におけるP波移行帯波形(二相性P波)の出現率
/ | 〜 | V4R | 〜 | V1 | 〜 | V2 | 計 |
% | 66 | 18 | 6 | 9 | 9 | 1 | 100 |
5.僧帽性P波と肺性P波(P mitrale と P pulmonale)
A:僧帽性P波 :P波の幅が広く、第1,第2誘導に結節ないしスラー があり、P軸の左軸偏位を認める。 B:肺性P波 :第2,第3誘導のP波が高く、尖鋭で、P軸の右軸偏位 を 認める。 |
6.P terminal force増大
V1のP波が二相性ないし陰性を示す場合、陰性相の幅(秒)と振幅(mm)との積を「P terminal force」とよび、この絶対値が≧0.04の場合は左房負荷と診断します。これは左房拡大のため、心房起電力が左後方に偏位することの表現です(P軸の後方回転、P軸の時針式回転)。
P terminal forceの計測方法 V1の二相性P波の陰性相の振幅(mmn)と 幅(秒)の 積の絶対値をいう。この値が≧0.04の場合に左房 負荷と診断する。 |
7.左房負荷診断基準
上述のように、左房負荷時には多くの心電図所見が出現しますが、これらの中で偽陽性率が低く、陽性率がが高い項目としては下記の2つがあり、これらが左房負荷の心電図診断基準として用いられ、何れか1つを満たせば左房負荷と診断します。
1.P terminal force ≧0.04
2.P波の幅≧0.12秒
8.左房負荷を起こす疾患
僧帽弁の疾患 | 僧帽弁狭窄、僧帽弁閉鎖不全症 |
左室に収縮期負荷を与える疾患 | 高血圧、大動脈勉狭窄、大動脈縮窄 |
左室に拡張期負荷を与える疾患 | 大動脈勉閉鎖不全、心室中隔欠損、動脈管下依存 |
左心不全を起こす疾患 | 虚血性心疾患、鬱血性心不全、特発性心筋症、心筋炎 |
その他 | 胸郭変形、癒着性心膜炎など |
3.右房負荷
1)右房負荷時の主要心電図所見
(1)U、V,aVF誘導におけるP波の高電圧と先鋭化
(2)右側胸部誘導(V1,2)におけるP波の高電圧と先鋭化
(3)P軸の右軸偏位
2)各年齢層におけるP波高電圧診断基準
/ | 90%値 | 95%値 | |
P波の振幅 | 新生児〜1カ月 | 2.0mm | 2.5mm |
1か月〜1年 | 1.75mm | 2.0mm | |
1年以後 | 1.5mm | 1.5mm |
3)右房負荷診断基準。
下記の何れかの基準を満たす場合には右房負荷と診断します。
(1)U、V、aVFの何れかの誘導のP波の振幅≧2.5mm
(2)V1のP波の陽性相の振幅≧2.0mm,かつ尖鋭な場合
右房負荷の診断図診断の陽性率は低く、臨床的に右房負荷の存在が推察されるにもかかわらず、上記の診断基準を満たさない場合も多くあります。このような例では、肢誘導、右側胸部誘導のP波形に注目し、たとえこれらの基準値に達しなくとも、尖鋭なP波を認めた場合には右房負荷の存在を考えなければなりません。下記の急峻上昇P波の所見も右房負荷の心電図診断における補助所見として有用です。
4)右房負荷を起こす疾患
呼吸器疾患 | 肺気腫、肺繊維症、陳旧性肺結核,珪肺、塵肺 |
先天性心疾患 | 肺動脈狭窄、心房中隔欠損、三尖弁膜症 |
肺高血圧 | 原発性肺高血圧症、膠原病、アイゼンメンジャー症候群、 左心不全 |
胸郭、・胸膜異常 | 胸郭奇形、胸膜肥厚 |
4)上昇遅延P波と急峻上昇P波
U誘導P波の上行脚およびかこうきゃくには結節があり、これらの結節ないしスラーにより区分されるP波の前1/3は右房興奮、中央1/3は両房の興奮の合成、後1/3は左房興奮を表わします。右房負荷時には最初の結節の振幅が増大するため、正常P波の左右対称的な特性が失われ、急峻な上昇を示します(急峻上昇P波)。他方、左房負荷時には、P波の後方1/3の左房成分の振幅が増大するため、P波は緩徐に上昇して急峻に下降します(緩徐上昇P波)。下図に急峻上昇P波(右房負荷)、緩徐上昇P波(左房負荷)を正常P波と対比して示します。
左:正常、中央:上昇遅延P波(左房負荷)、右:急峻上昇P波(右房負荷) |
5)両房負荷
(1)両房負荷の心電図所見
一般に両房負荷時には、次のような心電図所見を示します。
a.肢誘導のP波の振幅増大と幅の拡大
b.肢誘導でP軸が著しい左軸偏位を示し、V1,2でP波の振幅が増大する。
c. V1のP波が二相性で、陰性相の振幅が大きく、かつ幅が広く、陽性相の振幅が高く、尖鋭である。
d.V1のP波が二相性で、陰性相の振幅が大きく、かつ幅が広い。同時にV2,3のP波が尖鋭で、増高の傾向が見られる。
e.V1のP波に左房負荷所見があり、しかもP軸が+65度以上の右軸偏位を示す。